提出する9705筆の署名を持って支援者の激励を受ける原告と
弁護団の皆さん。
裁判所前で打ち合わせする弁護団
20151201 UPLAN【交流集会・進捗確認・出発式】子ども脱被ばく裁判第3回口頭弁論
https://www.youtube.com/watch?v=b85ElDmBwkA
20151201 UPLAN【裁判前リレートーク・記者会見・意見交換会】子ども脱被ばく裁判第3回口頭弁論
https://www.youtube.com/watch?v=RthWv6YzgZA
参加した宮口さんの報告です。
脱被ばく実現ネットのメンバーは早朝に関東をたって、
福島駅前で、9時過ぎから約1時間、当会の最新チラシに
第3回口頭弁論開催お知らせチラシ(署名合計1万6700筆、
ハガキ合計1500枚を提出予定も記載)をセットにして、ハート風船を持ちながら道行く人に配布しました。
あまったハート風船は会場の旗や入口に飾りました。
福島駅前ではハチ公前での配布より、格段にチラシ受取りがよく、すれ違った方がチラシをもらいに来る場面も有り、反応がとても良かったです。
そして
全国の支援の皆様からよせられた、署名の今回提出分9705筆を持って原告の皆さんと弁護団の皆さんが裁判に臨みました。
全国の支援の皆様からよせられた、署名の今回提出分9705筆を持って原告の皆さんと弁護団の皆さんが裁判に臨みました。
今日の口頭弁論は、門前払い判決にさせないための大変緊迫した弁護士、被告、裁判長のやり取りがあり、弁護士さんたちの追求の姿に惚れ直しました。
2人の原告陳述があり、Nさんは汚染の厳しい高校の学校再開をめぐり、校長や行政、東電に請願など奔走し、学校側の文科省いいなり姿勢に憤りながら、米沢と福島を通学させた辛い思い、子どもたちは、すでにに被爆しちゃっているから、私たち子ども産めるのかな?という会話もあった。子ども達を守りたいと切々と訴えた。
今野さんの陳述は、原発で技術者として働いてきて、年間で最高でも12ミリシーべルトの被ばくだった。
しかし国、東電は年間20ミリシーベルトの地域に子どもたちも帰そうとしていると、国、県、東電への怒りの陳述で迫力に冨み、素晴らしかったです。
被告の代理人に中にはうなづき聞く姿もあり、Nさんの陳述後に傍聴席から拍手があり、裁判長に注意されるも、今野さんの陳述が終るとさらに大きな拍手が会場を包んだ。
原告の声を聞く会
裁判に先立ち、午前中は原告の話を聴くことを中心の交流会が開かれました。
東京電力の福島原発事故以後の原告の考え方、感じ方が話され、参加された原告たちが、現在の思いなどを語った。初めての方の発言が、とても自立していて、県や国へのしっかりした考えを述べられて、刺激的でした。
裁判傍聴は希望する方がほぼ裁判会場に入れました。
裁判後の記者会見
次回は2月25日が予定されており、子ども人権裁判の門前払い判決を
崩し実質審議を引き出す重要な公判になるようです。
又ご一緒しましょう!
今後の裁判予定、2月25日(木)、5月26日(木)、8月8日(月)
(宮口記)
以下の口頭弁論での原告の今野さんの訴えをご覧下さい。
第3回口頭弁論意見陳述書
先ず始めに一言申し上げたいと思います。
裁判官の皆様、被告及び被告の弁護人の皆様。皆様の宝物は、何ですか。私の1番の宝物は、子供です。
今も宝物である子供達が危機に晒されています。又、放射線にも晒されています。
もうすぐ、大震災及び原発事故発生より、4年9か月を迎えます。
11/30、今回の県民健康調査では、甲状腺癌及び癌の疑いのある子供達が、152人となりました。100万人に1人か2人と言われてきた癌の発症及び疑いのある症状が、38万人で152人となりました。これは、現実に起きていることです。
甲状腺癌を切ると、それで治療が終わる訳では、ありません。一生、ホルモン剤を飲み続けなければなりません。
子供達や母親達、原発被害者を守らない出鱈目の政策を行っている国や県、行政に対し怒りの収まらない日々が続いています。
私は、現在、小学4年生の息子と妻と、妻の両親、叔父達、浪江の人達と共に浪江町から福島市に避難しています。
当時は、原子力従事者で、女川原発に出張中でした。週末で、帰宅の準備中に地震が発生し、目の前に20m以上の津波がやってきて、建物も道路も車も流されました。
3/15まで、家族と連絡をとれず、又、女川原発から脱出することができませんでした。
3/11の夜、女川原発内事務所のBS放送で1Fが全電源喪失し、原子炉水位が低下していることを知りました。
この世の終わりを感じました。
この時から、東電や国の出鱈目な対策や事実の隠蔽が始まりました。メルトダウンが起きても、3か月経った6月にようやく、国も東電もメルトダウンの事実を認めたのです。しかし、事実隠蔽は続きました。
3/11以降、国や県は、汚染の状況や被ばく量を隠し続けてきました。汚染の酷い高線量地域に人々を留めおき、不要な被ばくを受けさせ続けたのです。
安定ヨウ素剤の配布もせず、服用もさせず、避難させず、何の対策も取らないどころか、被ばく拡大をしました。
国(文部科学省)は、SPEEDIのデータを福島県に送りましたが、福島県は、これも隠してしまい、国から情報は無かったことにされました。
猪苗代町の旅館に避難中の時、一緒に避難している出産を控えた親戚の母乳検査をして貰える様に、県庁に何度も依頼しに出掛けましたが、「国や県の意向で測る事は、出来ない」と言われました。
この時、私は、福島県は、県民を守る気などないんだなと思いました。
測定すると被ばくしていることが、解ってしまうことを恐れ、測定をしないようにされていたのです。
それだけでなく、山下俊一氏に安全洗脳教育をさせました。事故前までは、放射線と健康障害について、被ばくをすれば癌の発症や健康障害の発生を提唱していた教授が、180度、反対のことを言い始め、被ばく拡大に加担しました。新たな安全神話の始まりです。
漫画美味しんぼでの鼻血問題は、国と県は、作者と出版社に対し、異常なほどのバッシングをしました。
事故後、半年位経ってから、私も1か月に1度から2度、鼻血がでました。昨年位まで続きました。
息子は、事故後、半年位経ってから、1か月に2度、風邪をひくようになりました。免疫力の低下によるものと思われます。2年間位続きました。
こういう事実を無かった事にしたいが為、国や県は、大騒ぎしました。沢山の人達が健康被害を訴えています。
現実に起きている事象に対し、背を向け目をつぶり、口をつぐみ、被害を拡大しています。
息子達は、3/11から3/15の早朝まで、線量の高い津島地区に避難していて被ばくさせられました。
今尚、SPEEDIの情報隠しに腸の煮えくり返る思いです。あの時、ちゃんと情報が伝えられていれば、少しでも不要な被ばくは避けられたのではないでしょうか。又、もっと遠くに避難したのではないでしょうか。
4年9ヶ月経っても、住宅除染も宅地除染も終わらず、毎日、被ばくを強要されています。学校のエアコン設置は今夏になってやっと始まりました。4年半も経って、やっとですよ。この間、子供達や人々は、被ばくしっぱなしですよ。
学校の設置者である市町村は、被害者でありながら、除染等で加害者の尻拭いをさせられています。
国や県、行政は、重大な法律違反をしています。
放射線障害防止法が定めた『一般人の追加被ばく線量年間1mSv以下』という基準に違反しています。
放射線管理区域指定の40,000Bq/1㎡の基準も違反しています。
事故後の年間20mSvなどという数値は、とても容認できるものではありません。
0.23μSv/hなどというマヤカシの数値も容認できません。本来、0.11μSv/hで年間1mSvです。
私は、原子力で29年間働いてきましたが、今までで最高の被ばく線量は、年間12mSvです。
いかに、20mSvと言う数値が大きいかと言う事です。原子力従事者より多くの被ばくを小さな子供達に強要しているのです。
法を守らない出鱈目の政策を被害者に押し付ける国(各省庁)。県民を守らない福島県。
加害者である国と結託し、県民を欺いてきた福島県。事実を隠蔽し被ばくを拡大させてきた国と県。
どちらの罪も非常に重いものです。
子供達は、子供達を護れない。子供達を護るのは、大人達の責任です。そして義務です。
子供達に安全安心な環境と未来を提供しましょう。 以上
2015年12月1日
意見陳述人 子ども脱被ばく裁判 原告 福島県双葉郡浪江町 今野寿美雄
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