3.5(土)新宿デモにご参加ありがとうございました!

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2014年8月30日土曜日

疎開裁判のあゆみ


8月29日福島地方裁判所に「子ども脱被ばく裁判」を提訴!


 8月29日、福島地方裁判所へ提訴後、記者会見が行われ、原告の子ども2人と母親5人が参加し、原発事故以後、子どもや自分に体調不良が続いていることや、避難を望んでも難しい現状、今の気持ちなどを訴えました。

(母)目に見えぬ物(放射能)から必死に逃げようと悩み、苦しみ抜いた3年半です。
(母)福島の子どもたちは目に見えない放射能と闘い、無用な被ばくをさせられ、今後も無用な被ばくを強いられることが許せません。
福島県は「放射能に負けない強い体を作ろう」というとんでもないスローガンを掲げています。
本当の意味での安心と安全を私たちに与えて欲しい。
(母)私が望んでいるのはただ子どもに普通の暮らしをさせてほしいことだけです。草花虫土に触れさせること。外でのびのび自由に遊ぶこと、そんな普通の暮らしです。
原告の子どもたちは絵や詩を発表しました。

放射能は本当に恐ろしいものです
人間の力を奪います
血が黒くなったり葉っぱが黒くなったりします

草原を走れない
福島の桃を食べられない
おばあちゃんの野菜を食べられない



8月29日、予定通り、子ども脱被ばく裁判の訴状を福島地方裁判所に提出し、受理されました。

まず、お伝えしたい画期的な出来事--第一次疎開裁判ではなかったことですが、今回初めて、7名の原告(母親と子ども) が、提訴のあとの記者会見に出席し、原告となった思いを語ったことです。
福島では、いま、現状に対し抗議の声をあげずにおれない勇気を持ったお母さん、お父さんたちが次々と現れています。

以下、原告の皆さんの発言の動画です。

原告のお母さんたちと子どものスピーチ
http://youtu.be/pnMTCBh8XAc


以下は、当日、出席できなかった原告のお母さんから寄せられた「原告となった思い」です(9月2日に追加しました)。

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        今回の裁判にあたり、何故原告になったのか。

郡山で私も息子達も生まれ、郡山は大好きでした。
福島県にずっと居ながら、原発の危険は、専門知識がある人以外、分からなかった人が、殆んどだったと思います。我が家もそうでした。

あの事故があり、郡山は、地震津波では被害が少なかった中、ライフラインの水が止まり、爆発した日も、水を貰いに外に出ていた人が沢山居ます。
危険であれば、行政から指示が来ると信じていたからです。

一週間程度遅れての始業式、マスク着用や、行政から学校を通して、長袖長ズボンを呼び掛けたこと、学校を優先した除染をしているのは、子ども達を守る為だったのでは無いでしょうか?

3年以上経ち、今はどうでしょうか?

2014年8月29日金曜日

応援メッセージ

ノーム・チョムスキー氏



ノーム・チョムスキー氏からのメッセージ 









ちば てつや氏

「原子力発電所」を美しい日本の各地に作らせてしまったのは日本人の大人たち、全員の責任だ。
 その被害を、未来に繋がる子どもたちに絶対、残してはならない。
 今、後悔しながら思うのは、子どもや若者たちを、一刻も早く安全な地域に移してやって欲しい、という事。
 これは思慮が欠けていた日本の大人たち、すべての緊急の責務です。
 懇願です。
         ちば てつや

 

山本太郎氏


2014-09-05 12:21
提訴の前日の8月28日、山本太郎さんから、これからスタートする第二次裁判=子ども脱被ばく裁判に対するメッセージを寄せていただきました。

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収束の仕方も分からない人類史上最悪の大事故を起こした東電の責任者は億単位の退職金を頂戴した上に天下り、東電には強制捜査も入らず責任の所在は曖昧のまま、ほぼおとがめなし。
一方、目に見えない、臭わないと言う究極の汚染物質をバラまかれた被害住民は、安全基準を大幅に引き上げられ、
「直ちに影響はない」「安全だ」「不安を煽るな」
「復興の邪魔をするな」「頑張ろう」
実質、泣き寝入りをしろ、と言う同調圧力の中で、子どもたちをどうすれば守れるのか、家計や仕事、人間関係、などの狭間で苦しみ続けている人々の存在を現在の政治はないものにしている。

政治がすべき事は事故直後からハッキリしていた。

東日本の広い範囲に渡り、多核種に及ぶ詳細な汚染調査が必要。その結果を事故前の基準と照らし合わし、希望者には、直ちに移住への補償・賠償を。
生産者に補償・賠償を。
その声は国会と言う場所では、まるでノイズの様な存在、まるで知らない国の言葉を聞いているような反応だ。

この現状は、機能停止し続ける政治の中に身を置く自分自身にもあります。
かすかな糸口でも掴めるような政治活動を例え国会議員の中で一人になったとしても続けます。

司法はどうだろう?

経済の為に人々を切り捨てる政治と経済団体に追随するのだろうか、権力に飲み込まれるのだろうか?

世界中が見ています。

裁判になる事自体がおかしなこの状況を。

日本の司法が生きているか、本物かどうかを。