被告側の国と自治体の代理人は33名にものぼり、被告側の席が足りずに傍聴席に12名もが座ったそうです。彼らにとっても負けられないという、それほど重視している裁判ということです。
松岡さん、富塚さんのレポートをごらんください。
★ユープラン三輪さんが動画をアップしてくださったので、追加いたしました。
20160526 UPLAN【前半・報告会】
人見やよい「やいちゃんのヨーロッパ弾丸ツァー(子ども脱被ばく裁判報告集会)」
200160526 UPLAN 【期日前集会・記者会見・意見交換会】子ども脱被ばく裁判
★以下松岡さんのレポート
閉廷後の記者会見で井戸弁護団長は、これまでの裁判の進捗状況と本日の裁判を説明しました。
「原告側が3通の準備書面をだしたこと
今回、親子裁判で国からの初めて書面がでたこと。
・国はモニタリングやスピーディの情報を国民に提供する義務はない。
・2011年4月19日の年20ミリシーベルト以下で学校再開容認の通知は、たんなる文科省の見解であり強制ではない。県や市町村は、学校再開を独自に決めればいいのだ。
・国はICRP基準に従って指示をだしている。だから安全――と言うのがおおよその主旨。
ところで、今日の裁判のポイントは、子ども人権裁判の門前払いが決定されるかもしれないという点で、実は気が気ではなかった。
開廷前の進行協議で尋ねても、金沢裁判長ははっきり答えない。禅問答みたいだった。
子ども人権裁判に我々が出した3つの訴訟すべてを適法・却下とはいえない。一部不適法、一部適法となるだろう。(一部の請求は、訴訟要件を欠き、違法であるから却下しても、一部の請求については訴訟要件を備えており、適法であるという判断になることがあり得るということ)。却下したものについて原告は仙台高裁に控訴するだろうから、同じ訴訟を並行して2つの裁判所で審議することになる。
そうなれば原告被告ともに負担がかかる…被告は今までの通り中間判決を求めるか否か再検討してほしい・・・つまり、金沢裁判長は、このまま中身に入ろうと考えているようだ。裁判所の方針が転換がされたようだ。却下の危機は乗り越えられたといっていいようだ。これを皆さんに言いたくて言いたくて、やっと今言えました。」
と破顔一笑。記者会見に同席した私たちもよかった、よかったと割れんばかりの拍手。
記者から質問が出ました。
「国は、スピーディなどの情報を提供する義務はないと反論しているが、その根拠は何か?」
「『原子力災害法』の『原子力緊急事態宣言その他原子力災害に関する情報の伝達』から行政がいろいろ解釈を付けていることに拠る」と井戸弁護士。
でもなあ、地震の時、気象庁はすぐ津波情報を報道する、万が一原発が爆発したら、放射能雲がどちらに流れるか、気象庁なりに報じてもらわなくてはならない。福島原発過酷事故で多くの人をむざむざ大量の被ばくをさせてしまって、肝に銘じた教訓ではないですか。よく言えるもんだ。
光前弁護士が
「国の主張は、国はICRPの基準に従っている、スピーディやモニタリングの情報をださなかったが、ICRPが安全と言っている数値内だから、大丈夫だと言うのです。スピーディの情報を出さなかったことで、原告にどんな被害あったのか、20ミリで学校再開して、原告はどんな損害を受けたのかと我々に問うている。我々は原告一人一人に具体的に被害の実態を聞いたり、陳述書を書いてもらったりして書面を作る必要がある。
政府はICRPの安全基準だから大丈夫と主張する。政府が頑として子どもたちを福島に留め置いて、避難させない根拠なのであり、子ども人権裁判の争点そのものなのだ。ICRPの基準でいいのかというところを裁判の場で大いに論議するのは我々としても望むところです」と明快な回答でした。
原告Aさんの陳述
「2011年に除染されたけど、今自宅の周辺を測ると0.5μ㏜。今でも、条件が許すなら、娘を避難させたい。原発事故前は、春には山菜、夏は母が作る野菜、新鮮でみずみずしい食材に囲まれていた。もうそのような生活は帰って来ません」と切々と訴えました。
原告Bさんの陳述、「中学の娘を母子避難させたが、娘は友だちを見捨てて自分だけ避難していいのかという罪悪感に苦しみ、新しい学校にはなじめず不登校になった。福島に帰りたいという娘を説得して松本へ再度転居。2013年4月、福島の子どもたちを松本に呼び、寮生活をしながら地域の学校に通う松本留学プロジェクトを立ち上げた。福島からの8名の子どもたちを迎えスタートした。政府が国策として進めた原発事故のせいで、いまなお高濃度汚染エリアで数十万の子どもが暮らしている。この事実を直視し対策をとるのは、政府の責任ではないか」と迫りました。
裁判所前での集会での原告のKさんのスピーチ
「先週金曜日『故郷を返せ』という津島訴訟が郡山地裁であった。津島は私の実家があり応援に行った。久しぶりに地元の人達が一堂に会し、もう、みんな涙、涙です。原発に土地や家、畑を奪われたのも悔しいけれど、それよりもっともっと悔しいのは自分たちのコミュニティと家族の暮しが破壊されたことです。取り返しがつかないのです。私の親戚一家は、祖父母、父母、子ども、孫、4世代で暮らしていたんです。今はばらばら。もう元の生活には戻れない…それが一番くやしいです」聞いていて、福島の人達が耐え続けている無念さに胸が詰まりました。
午前中の学習会、人見やよいさんの「ヨーロッパ講演報告」も魅力的でぐいぐい惹きつけられました。
ヨーロッパ各地で暮らす日本人がその地でかかわる反原発運動のネットワークがあり、各地で呼ばれ講演をした。ドイツ・シェーナウ訪問、ベラルーシの保養所見学の報告でした。「シェーナウの住民たちの柔軟な発想、行動力、電力会社から送電線網を購入するのに必要な4億円を集めるため、全国に新聞広告で寄付を呼びかけた『原発きらわれ者キャンペーン』。町の人が一人一人自分の写真を載せ、自己紹介、趣味は庭いじりそして原発きらわれ者・・それで見事4億円が集まったという。対立するのではなく、どうやったら、相手にわかってもらえるか・・・知恵を絞ったというところを学びたい。ヨーロッパでもダメな部分はある、だけど、ダメな部分を暴走させない、そんなとき、すぐ立ち上がって、ブレーキを踏み、止める市民たちが存在しているつよさ。日本人は、そこで傍観し、勢いのある方に流されてしまうところがあるのではないかと思った」と語り、考えさせられました。
脱被ばく実現ネットから参加した4人は、9時40分に福島に着き、駅前の広場で30分程、子ども脱被ばく裁判のリーフレットを挟んだちばてつやさんのイラスト入りのチラシを配りました。皆さん、快く受け取ってくれて、嬉しかったです。150枚撒けました。
★以下富塚さんのレポート
2016年5月26日子ども脱被ばく裁判第5回口頭弁論を傍聴しました。
前回2月25日第4回口頭弁論後の状況では「子ども人権裁判」が「親子裁判」から分離されて棄却(門前払い)される危険性がありましたが、今回は裁判後の集会でその危険性はほとんどなくなったという弁護士さんの話があり、みなで喜びました。
(子ども人権裁判は、放射能汚染の少ない場所で教育させよという市町村に対する要求、親子裁判は無用の被ばくをさせた国・県の責任を追及する裁判)
12月1日の第3回口頭弁論の時は「子ども人権裁判」棄却という「判決」が出そうになり、光前弁護士さんたちが緊急発言を行って辛くも食い止めたという記憶があります。裁判長が徐々に原告のほうを向くようになってきたと井戸弁護士もおっしゃっていました。
その間弁護団は反論を提出し大学教官等専門家の協力による資料も多数そろえました。今回は古川弁護士が児玉龍彦東京大学先端科学技術研究センター教授にインタビューした意見書を提出・説明しました。国(文科省)がスピーディーの情報を住民に提供しなかったことに責任ないという主張に反論したものです。またスピーディー計算に信頼性がないという主張にも反論しています。
意見書ではモニタリングによるデータ取得と計算予測は相補的であり、実際に行われたモニタリングと予測・評価をすべきだったのに何もやらなかったと述べています。そして、その不作為は23年当時の防災基本計画と環境放射線モニタリング指針に明白に違反していると断罪しています。
裁判官も一般の人々と同様に知識不足で、通常は政府・行政寄りの考えのようですが、原告側が専門家の意見を提出することで徐々に考えを変える可能性のあることがわかりました。
そして今回裁判官を変えた大きな要因の一つは原告の陳述ではないかと思います。すでに合計10人くらいの原告が法廷で思いを述べました。子供が吐き気・下痢・大量の鼻血をだすという状態が続き、家の内外の空間放射線量が高いということを知り、避難を決断するに行ったという苦渋の選択を述べました。避難できない原告はしたくてもできない現状と思いを述べました。
避難してもしなくとも子どもの将来に不安を抱えています。マスクを外さない子供、弁当を持参して給食を食べない子供が担任の先生にいじめられたという陳述もありました。
避難先で子供が新しい友達ができず不登校になり、福島の故郷に帰る前に避難先を変えて状態が改善されたという話もありました。新しい避難先が福島からの避難者に理解のある松本市でよかったと言っています。せめて子どもだけでも避難させようという松本子ども留学基金の活動も重要だと思います。子ども留学も保養も本来は原発事故の責任者である国が行うべきことです(これも原告の意見です)。
今回脱被ばく実現ネットはバスの手配ができず4人のボランティアが新幹線で行きました。集会場に行く前に福島駅前で2種類チラシを撒きました。いつものように市民の受け取りがよく、「こうした裁判をもっと早くやってほしかった」という声もありました。
以上
2016年5月28日 冨塚元夫
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