2015年4月1日 第19回東電本店合同抗議
呼びかけ団体:たんぽぽ舎、テントひろば 賛同団体:東電株主訴訟他119団体
参加者約90名
春とは思えない冷たい雨の中、午後6時50分(悪天候の為予定繰り上げ)から東京電力本店前にて合同抗議が行われました。
最初のスピーカー倉田さんは東電の重役達をナチスのアイヒマンに譬え、重役達の罪状をナチス並み
に許されるものではないと抗議。
東電株主代表訴訟の木村結さんは被告東電の弁護士費用が何億にも上っており、それが国民の税金
で賄われている不条理やこの4月に東電社員の給料がベースアップし、原発事故前の9割の水準に戻っているなど怒りの告発。
金曜抗議行動の春橋さんは、今現在の東電のレベルでは廃炉は技術的に無理であり、外部から人材を招聘しなければどうにもならない状態である事を訴えていました。
私たち「疎開裁判の会」では以下の告知を行いました。
●“子ども脱被ばく裁判”第1回口頭弁論は6月23日(火)
● 裁判当日のバス応援ツアーの実施
● 裁判支援のデモが5月23日(土)に決定
● 原告の現状報告会とビデオ視聴会 4月12日(日)の案内
これらの告知をし、裁判の応援、デモとバスツアーへの参加を呼びかけました。
スピーチでは「福島原発被害東京訴訟 原告小学6年男児の意見陳述」を朗読し、“子ども脱被ばく裁判”の原告の方も直面している「自主避難者の苦しみ」を訴えました。内容は以下にです。
「僕は2011年の福島原発事故の次の日に家族と避難してから、一度も自分の家を見ていません。2年生の3月に大きな地震が来て急に僕は東京の子になりました。
家も学校も友達も楽しかった事が急にみんな消えて、避難所から知らない学校へ行く生活が始まりました。弟も僕も泣いたり、吐いたりしながら、ただしなければならないことを頑張りました。
僕たちは区域外避難者だから賠償金がほとんどもらえないので、みんな大概貧乏です。そしてほとんどの子がお父さんと離ればなれの生活をしています。お父さんが福島で働かないと僕たちは避難を続けられないからです。
お父さんと離れて暮らしていた頃、お父さんが来るのはずっと特別で嬉しかったけど、お父さんが帰るたび弟が布団にもぐって、声を出さないように泣くのですごく辛かったです。僕も同じ気持ちだったから。
僕のお父さんは1年半ひとりで頑張ったけど心と体が壊れて、仕事を辞めて東京へ来ました。やっと一緒に暮らせるようになったけど今も色々大変な事があります。
−−−−−− 中略 −−−−−−−
こんな悲しい事が二度とおきないように僕たちを助けて下さい。よろしくお願いします」
胸がつまります。
東電と国を被告とした原発被害訴訟は全国的な拡がりをみせています。私達が支援する“子ども脱被ばく裁判”もこうした流れと呼応して、彼のような子どものために、最良の結果を求めて裁判をサポートしていきたいですね。
路上には“東京電力恥知らず”のコールが鳴り響きました。
雨と寒さの為、ラストのドンパン節はショートバージョン。参加者の皆さんお疲れさまでした!
0 件のコメント:
コメントを投稿